2013年 02月 03日
逗子の法性寺から名越の切通しを抜けて鎌倉を目指す その5
きのうは気温が20度ぐらいまで上がりましたね。あまり気温の差が激しいと体にこたえます。
一昨日は稲荷講の初午祭を執り行いました。この話が終わったら乗せる予定です。

明日は天候もぱっとしなそうだし、アカデミー賞候補の「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」でも観てくるかな・・・。

さて今回は、逗子の法性寺から名越の切通しを抜けて鎌倉を目指す、歴史散策の旅の 5回目です。
まったりとどうぞ・・・。




パノラマ台を後にして、元来た道を戻る。

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法性寺への下山口を過ぎ・・・

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現在は非公開中のはずの「まんだら堂やぐら群」の脇を抜けると・・・

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無縁仏慰霊塔のある広場に出る。

ちょっと驚いたことに、いつの間にか慰霊塔はフェンスに囲まれていた。こんな慰霊塔にいたずらする奴がいるとは思えないのに何故だろう。

そしてフェンスの中には何匹もの猫がいて、猫好きのY氏を喜ばせた。
なるほど。フェンスの中にいれば安全ってわけか。そしてここに何匹も猫がかたまっているってことは、多分エサを運んでくる人がいるのだろう、源氏山のように。

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無縁仏慰霊塔のすぐ先に、鎌倉の歴史的な名所の一つ、名越の切通し(なごえのきりどおし)がある。

三方を山で囲まれている鎌倉は、必然的に外の地との行き来には険しい峠を越えなければならない。
「切通し」とは、山や丘陵を切り開いて通した道のことで、鎌倉にはこれが 7つあるため、鎌倉七口(かまくらななくち)、または鎌倉七切通しと呼ばれている。名越の切通しはそのうちの 1つというわけです。

ちなみに名越の地名は「難越」(なごし)から来ているという。要するに越えるのが難しいということだ。

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ところで、大切岸は鎌倉幕府(北条家)が外敵に備えるために作った防御施設と書いた。実はこの名越の切通しにも防御施設が存在する。

これがその 1つで「置石(おきいし)」と呼ばれている。

何故人や馬が通る道にこんな邪魔なものが置かれているのか。それは騎馬武者の通行を妨げるために置かれたものだという。
もちろん全く通れないのでは意味がないから、ギリギリ馬が通れるぐらいの道幅に狭めているということのようだ。

要するに騎馬軍団が一気に鎌倉に攻め込むのを防いでいたわけですね。

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この道の左側が「鎌倉の外側」、右側が「鎌倉の内側」ということになる。そして「鎌倉の外側」とは三浦方面を示していて、そこに頼朝の死後鎌倉の実権を握った北条氏にとって最大のライバルである三浦一族がいた。
そう、北条家が想定していた「外敵」とは、鎌倉幕府外の豪族などではなく、本来は味方の三浦一族のことなのだ。

先ほど説明した無縁仏慰霊塔がある広場などは「平場」といい、下を通る通行人を監視、攻撃する場所になっている。
つまり平場も防衛施設の 1つなんですよね。

七口の中でも特に名越切通しにこのように多くの防衛施設が存在しているのは、それだけ北条氏が三浦一族を恐れていた証拠と言える・・・。

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置石を横目で見ながら、名越の切通しを鎌倉に向けて進んでいく。もう切通しのピークは過ぎているから、道は下る一方だ。

このあたり一部道が階段になっているが、「これは後世の造りによるものと思われます」と「鎌倉の古道物語」というホームページで説明されている。切通しで階段というのはおかしいということだろう。

さて、鎌倉の町も近い・・・。

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by JunMorosawA | 2013-02-03 08:35 | 地元(鎌倉)の話 | Comments(0)


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