2013年 01月 28日
逗子の法性寺から名越の切通しを抜けて鎌倉を目指す その3
寒い日が続きますね。そんな中、実は今日は伊豆の葛城山(かつらぎやま)と発端丈山(ほったんじょうやま)という低山に登ってきました。
いずれ紹介できればと思っています。

さて今回は、逗子の法性寺から名越の切通しを抜けて鎌倉を目指す、歴史散策の旅の 3回目です。
まったりとどうぞ・・・。




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山王権現社から下りて墓地の方に進むと大切岸(おおきりぎし)が正面に見えてくる。
ただ残念なことに、一部で工事が行われていて、ご覧のように隠れてしまっていた。

そこで以前写した写真から・・・。

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これが鎌倉時代の遺構、大切岸(おおきりぎし)だ。
現在のこの大切岸の総延長は 800m~1kmほどだという。しかし伊藤一美氏の「都市周縁の地域史」によると、昔は北東部が鎌倉の十二所から、西南は小坪近くの住吉城跡付近まで続いていたという。

さて、大切岸とはいったい何なのか。
一般的な解釈は、鎌倉幕府・・・もっと具体的にいうと、北条氏が外敵の侵入を防ぐ目的で作った人工的な防御施設ということになっている・・・。

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源頼朝が作った鎌倉幕府は、その頼朝が生きていた頃は一枚岩でまとまっていたものの、1199年の頼朝の死以降は北条氏と他の有力御家人たちとの争いが絶えなかった。

まずは1203年、比企一族が北条時政によって滅ぼされ、それから 10年後の 1213年には和田義盛が時政の子義時によって討たれた。

そうなると北条氏にとって、残る最大のライバルは三浦半島の衣笠(きぬがさ)城に本拠地を置く三浦一族だった。

三浦半島の方から鎌倉に入るにはこれから向かう名越の切通しを通ることになる。実際明治16年(1883年)に名越のトンネルができる前は、名越の切通しが鎌倉と逗子を結ぶ重要な道だった。

そこで三浦氏の進入を防ぐ目的で様々な防御施設が、北条氏によって名越の切通しやその周辺に設けられた。
その一つがこの大切岸(おおきりぎし)だという。

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そんなことから昨今「鎌倉城」という考え方も出てきている。つまり鎌倉は四方のうち三方を山に囲まれた天然の要害なわけで、これは鎌倉全体が一種の城という言い方もできるってことだ。

なるほど。実際こうしてみると石垣のようにも見えますよね。
実に面白い。

もっとも、近年の大切岸周辺の調査から、ここは中世の単なる石切場跡という、ちょっとつまらない説も有力になっているらしいが・・・。

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墓地の先のこの場所が登山口だ。ここからいよいよ山道に入っていく。

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といってもすぐに左上に立派な洋館が見えてきて・・・

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1分もしないうちに稜線(?)に達してしまう。

ここにはご覧のまだ真新しい指導標があった。
左に「名越切通し・まんだら堂やぐら群」右に「大切岸・ハイランド住宅地・衣張山」と書いてある。

今回は歴史散策ってことで名越切通しを通って鎌倉に下りる予定でいたのだが、いきなりそちらに進んでしまったのではあっけなさ過ぎる。

そこで一旦ハイランド方面に進むことにした。そちらにまさに絶景のパノラマ台があるのだ・・・。

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by JunMorosawA | 2013-01-28 18:45 | 地元(鎌倉)の話 | Comments(4)
Commented by kanageohis1964 at 2013-01-28 21:18 x
こんにちは。

そうですねぇ、最近は中世・近世の遺構の発掘調査の結果が歴史解釈に反映されるケースが増えてきていて、鎌倉の場合は要害として地形を最大限活用していたという解釈から、武家政治の中枢という都市環境の維持のための施設がもっとあった筈、という解釈へと流れてきていると思います。この大切岸もそういう流れの中で位置付けが変わってきているということになるのでしょうね。
Commented by JunMorosawA at 2013-01-29 17:30
kanageohis1964さん、こんにちは。

都市環境の維持のための施設・・・なるほど。

そうなると今度はこの大切岸の石(岩)がどういう形で使われたのか、という興味が湧きますね。
Commented by kanageohis1964 at 2013-01-29 22:07 x
こんにちは。

今では切り出せなくなりましたが、こういう石切場から切りだされていたのがいわゆる「鎌倉石」ですね。砂岩や凝灰岩の比較的柔らかい岩ですが、今でも古い寺社の石段や石橋に残っています。
Commented by JunMorosawA at 2013-01-30 18:18
kanageohis1964さん、こんにちは。

> 今では切り出せなくなりましたが、こういう石切場から切りだされていたのがいわゆる「鎌倉石」ですね。

大切岸の石が鎌倉石だったのですか!それは知りませんでした。
衣張山の近くに昔の石切場の跡があるのは知っていましたが。

なるほど。だったら階段など、生活用の石として大いに利用されたんでしょうね、鎌倉時代から。


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