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2010年 01月 25日
日光・東照宮&史跡探勝路・その8
歩く人もほとんどいない「日光史跡探勝路」を歩き終え、二荒山神社で初詣を済ませた我々は、遂にこの日のメインイベント、東照宮に入っていったのであった。




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さて、神厩舎、三神庫の次に現れるのがこの豪華絢爛な門、陽明門(ようめいもん)だ。

東照宮随一を誇ると言われていて、高さ11m、間口7m、奥行4mあり、施されている装飾彫刻の数は500余り。一日中眺めていても飽きないことから日暮門(ひぐらしもん)とも呼ばれている。

じつはこの私、陽明門に関しては随分ミスってしまった。

例えば、門の正面の上部には、後水尾天皇より賜った「東照大権現」の額が掲げられている。東照宮という名はこれが起源となっている。

また、陽明門の12本の柱のうち1本は模様が逆さまに彫られているという。装飾が完璧すぎるのを避けるためにわざと行ったといわれ、「魔除の逆柱」と呼ばれている。

更に通路の間天井には、それこそ狩野探幽による昇(のぼり)竜と降(くだり)竜が描かれているという。

ところが私はそれらのものをちゃんと確認していない。当然写真も写していない。
電車の中などでしっかりと予習をしていたはずなのに、これは何たることか・・・。

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陽明門をくぐると正面に見えてくるのが唐門(からもん)だ。
間口3m、奥行き2mほどの小さな門ながら、国宝になっている。

江戸時代には御目見得(おめみえ:将軍に拝謁できる身分)以上の幕臣や大名しか使えなかった。現在でも正月や大祭などの祭典のときと、国賓に相当する参拝者だけしか使えないのだそうだ。

全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、門柱に紫檀黒檀などで寄せ木細工された昇竜、降竜がここにもいるらしい。

「らしい」と書いたのは、またしても予習不足であえて注目しなかったのと、現在「平成の大修理」というのが行われていて、ご覧のようにシートで覆われている部分が多かったためだ。

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但し正面上部の「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」はちゃんと確認した。
何と1本のケヤキに4列27人の人物が彫られているという。

ちなみにその舜帝(しゅんてい)が残した「内平外成(ないへいがいせい)」の言葉から平成の元号が選ばれた。

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さて、家康の墓のある奥社への参道入り口の東回廊に施されてるのがかの有名な眠り猫だ。

「あれ?こんな場所なの?こんなもんなの?」

って感じで、「眠り猫・頭上」という案内板がないとそのまま通り過ぎてしまいそうだ。

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この眠り猫、左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝えられ、東照宮に数ある彫刻の中でも最も有名なものだ。

前足を曲げてしっかりと踏ん張っていることから、この先にある家康の墓所である奥社へはネズミ1匹通さないということを表しているとか、見方によっては背中を丸めて気持ちよさそうに眠っているように見えるため、猫も寝るほどの平和を表しているとか、いろいろな解釈がある。

私が見た感じでいうと、見張りをしているようには見えない。やはり後者の説の方が当たっている気がする。

ところでこの左甚五郎(ひだりじんごろう)という人物は後世の創作であるという説があるらしい。

そもそもこの「眠り猫」が左甚五郎の作であるという根拠もなにもなく、更には他に彼の作と思われる彫刻が東照宮内に一つもないからだ。

また左甚五郎(ひだりじんごろう)は「飛騨の甚五郎(ひだのじんごろう)」が訛ったものだという説があるんだそうですよ。面白い。

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回廊を出るとすぐに門がある。坂下門だ。

江戸時代は将軍しか入れなかった「開かずの門」だ。そこに1,300円の拝観料だけで入れるんだから安いものかもしれない。

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家康の墓所である奥社に進む。
奥社までの参道は杉の老木に囲まれていて、その中を左へ右へと方向を変えながら200以上もの石段が続く。

この石段は1段1段が1枚岩からできている。これは寒さの厳しい日光では、霜柱で浮き上がってこないように重く大きな石にする必要があったためだという。

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12時15分、とうとう家康の墓所まで到達する。

宝塔(ほうとう)の高さは5m。この宝塔に家康公の棺(「神柩」と呼ばれているようだ)が納められている。
ちなみに建立以来、なんと一度も開けられたことがないという。

宝塔は最初は木造、後に石造りになり、さらに天和3年(1683)の大地震で破損したものを五代将軍綱吉公が現在の唐銅(からかね:金・銀・銅の合金)製に造り替えたんだそうだ。

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宝塔のそばには下半身しかない杉が立っている。叶杉(かのうすぎ)と呼ばれる杉で、案内板には「諸々の願い事をこの杉の、ほこらに向かって唱えると願い事が、叶うと伝えられている」と書いてあった。

本当に謂れのあるものなのかどうか怪しいと思いながら、我々も行列に並んでお賽銭を捧げた上に願い事をしたのだった・・・。

by JunMorosawA | 2010-01-25 22:06 | | Comments(2)
Commented by anatagaitiban at 2010-01-26 00:16 x

長い長い一枚板の石段を登って、息せき切って とうとうここまで付いてきちゃいました~。(*^_^*)
MorosawAさんは、いったい 何を願ったのでしょうか~?!(^_-)-☆

Commented by JunMorosawA at 2010-01-26 21:26
おっと。付いてきちゃいましたか(笑)
お疲れ様です。

> いったい 何を願ったのでしょうか

ま、一応人類の幸せを・・・ではなく、「素敵な出会いを」でしょうか(苦笑)。


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