2006年の春に高尾山を訪れた際に多くのスミレと出合って以来、すっかりスミレの虜(とりこ)になった私は、春になるとそのスミレを求めて高尾山に行くようになった。
これはその2006年のときのお話・・・。
2006年の4月の半ば、私はJR高尾駅からバスに乗った。
そして日影バス停で降りた私は日影沢を城山(しろやま)に向かって歩いていた。日影沢周辺はスミレの宝庫として有名なのだ。
道端に咲いているスミレを熱心に撮影しているご老人がいた。近づいて話しかけたら「タカオスミレですよ」と彼が教えてくれた。
タカオスミレはヒカゲスミレから変化した品種で、ご覧のように葉の表面がこげ茶色をしているのが特徴になっている。高尾山で最初に見つかったためこの名がついている。まさに高尾山を代表するスミレだ。
私がタカオスミレを見るのはこれが初めてだった。だからそのご老人の撮影が終わったあと、私もそこで撮影をさせてもらった。
するとそのご老人、もう自分の撮影は終わっているはずなのに、何故か私の近くを離れない。
結局その後私はしばらくそのご老人と一緒に過ごすことになる。
このご老人の年齢は何と80歳。「近頃年で高尾ぐらいにしか来れなくてね」と話していたが、ご謙遜もはなはだしいって感じがした。
彼が右手に持っているのは、何と中判の645のカメラ。ペンタックス製だ。
「もうこれで(645での撮影は)やめようと思って、冷蔵庫から残りのフィルムを出してきたんですよ」
そう話すご老人はもう1台カメラを持っていて、そのカメラがデジタル一眼レフカメラなのだから恐れ入る。80歳でデジカメまでこなしていれば立派なものではないか。
どうやら大きく引き伸ばしてプリントするのが好きなようで、「他だと1万以上かかるところがドイカメラだと6千円ですむ」とか、「1枚の写真をA4の用紙に四分割してプリントして貼り合わせて1枚にしている」とか話していた。パソコンの方もそれなりに使いこなしているようだ。
私は1時間近くこのご老人と同行した。彼のペースは決して乱れることがなかった。むしろ私よりも元気な気がした。
私もそれなりに年齢を重ねてきて、今まで全く意識しなかった自分の老いというものを、最近ではおぼろげながらも考えるようになってきた。
果たして私は自分が80歳になったときに、彼のようにこうして1人で高尾山まで来られるのだろうか・・・。
「付かず離れず」といった感じで日影沢沿いの道をご老人と一緒に進んでいく。
やがて彼は山の中に消えていった。一丁平を経て高尾山に向かうということだったが、無事にたどり着けただろうか・・・。