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やっと東慶寺の梅が満開に近くなってきました。
東慶寺は山が近いせいで日当たりがそんなによくないから開花は遅れるのだが、それにしても今年は少し遅いような気もします。
さて今回は 高麗山→湘南平 & 吾妻山 のお話の 5回目です。
よろしかったら続きをどうぞ・・・。
東天照(とうてんしょう)から先は分岐が多くてやや分かりにくいが、まあ基本的には真っ直ぐに進んでいけばいい。
例えば東天照から 3分後ぐらいにこの「けやきの広場」への分岐があるが、無視して真っ直ぐに進んでいきます。
するとまたすぐに、高来神社と大堂ってところの分岐が現れる。指導標が古くてそれぞれの文字が消えかかっていた。
高来神社は起点になった神社だ。そして大堂=高麗山だから、そのまま真っ直ぐに進みます。
1分後、また分岐が現れる。右が八俵山になっていて、真っ直ぐには何も書れてない。
ここも素直に真っ直ぐに進んでいきます。
更に 1分後、今度は十字路のようになっている場所に出る。
十字路とはいっても右と左は石段だ。で、左が高来神社に下っていく道で、右が高麗山だ。
要するに、昔は高麗山に神社(奥の院)あって、そこへの参道ってことになるのだろう。
というわけで高麗山目指して石段を登ります。
8時ジャスト(高来神社から歩くこと 23分後)高麗山(こまやま)に到着。
高麗山は広場状になっているだけで何もない。展望にも恵まれていない。だから山頂らしさは微塵もない。
ご覧の案内図によると、奈良時代の頃、朝鮮半島にあった高句麗が唐・新羅に滅ばされた。
そのとき日本に難を逃れたものも多く、その中に高句麗王族の一人、高麗若光(こまじゃくこう)もいた。
若光は海を渡って大磯に上陸。この山のふもとの化粧坂(けわいざか)あたりに住んでいたという。
そんなことからこの地が高麗(こま)と呼ばれるようになったということだ。
写真を数枚写しただけで特に休むこともなく高麗山を後にする。
ご覧の丸太でできた短い橋を渡ると、また高来神社へ下る道が左に現れる(指導標が見えますよね?)。
高来神社へ下る道って、こうして何度か現れるんだ。
このあたりで樹木越しに初めて富士山が見えた。
向こうには雲がない!どうやら絶景を拝めそうだぞ!
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