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2013年 02月 14日
稲荷講初午祭
去年は記録的に梅の花の開花が遅れましたが、今年もやや遅い感じですね。
地球は温暖化しているはずなのに、冬は寒く長い・・・何だかおかしな気候になってきました。

さて今回は、ちょっと発表するのが遅くなりましたが、2月1日、地域の稲荷神社で初午祭(はつうまさい)が行われたときのお話をしたいと思います。

今年は私の家が「お宿」だったんですよ。「お宿」は最初に神様を向かいいれなければならないから、なかなか大変なのです。

というわけで、今では非常に珍しい儀式となってしまった稲荷講のことをまったりとお届けします・・・。




昔は町や村の要所要所に稲荷神社があり(北鎌倉にも最低 3つある。もっとあるかもしれない)、その周辺の家々の人たちがそれを祀(まつ)っていたものなのだ。そういう組織のことを稲荷講(こう)という。
神奈川県は全国でも稲荷講の盛んな県らしい。

講は稲荷講だけじゃなく、伊勢講・大師講・富士講・大山講など昔は色々なものがあり、たとえば富士講の場合は、白装束に身を包み、金剛杖をつき、「六根清浄(ろっこんしょうじょう」の掛け声と共に富士山に集団登山をしたらしい。

稲荷講も本来は、京都の伏見稲荷大社に陰暦 2月初午の日に参詣するための講のようだ。

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講に入っている人のことを講中(こうじゅう)という。その講中の人たちによって、まずは稲荷神社に初午祭の飾り付けを行う。

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「正一位古山稲荷大神」と書かれた幟(のぼり)の先端にはご覧のように榊(さかき)を取り付ける。

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そしてこんな風に立てるんですよ。
飾りつけは 1年に 1度しか行われないため、毎年手順を忘れてしまっていろいろ悩むことになったりしています。

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神様はまず最初「お宿」になっている家にやってくることになっているので、お宿の方でもこうして準備をする。

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特に大変なのがこのお供え物の作成。

正月のお飾りで作ったワラを使って「つっとこ」と呼ばれる細長いお皿のようなものを作り、その上に、まずは半分に切った油揚げを乗せ、続いて赤飯、最後にいわしを乗せて縛って作る。

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他にも、葉っぱの付いている大根、にんじん、お米、お塩、お酒などをお供えする。

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そして神主さんを招いて、儀式がスタートする。

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当然稲荷神社の方でも儀式を行う。

ちなみに初午祭(はつうまさい)というくらいだから、本来は 2月の最初の午(うま)の日に行うのが正式だ。
これは京都の伏見稲荷大社の神が降りた日がこの日であったことに由来しているらしい。

しかし我々は都合で 2月1日の日に行っている。北鎌倉にある別な稲荷講も同じ日に行っていることもある。

稲荷講初午祭_c0196928_18412073.jpg

すべての儀式が終わったあと、直会(なおらい)が開かれる。
直会っていうのは、神事が終ったあとに、お神酒(みき)をおろしていただく酒宴のことだ。

江戸時代、あるいはもっと昔は今のように様々なレジャーがあった時代ではない。だからこういう酒宴が庶民の娯楽になっていたのだろう。

しかし一方でお宿の人はこの酒宴の準備もしなければならないのが大変。昔は今と違ってもっと多くの人が集まったからなおさらだ。
そしてこの大変さが稲荷講の衰退につながった一つの要因にもなっている。

そんなこともあって我々の会は、現在では個人の家ではなく公会堂のような場所を借りてそこで行っている。
食事もこの日の場合はお寿司だけという、結構簡素なものだったりしています。

それでも神主さんの話によると、こうして毎年初午祭をやる講組織は、もう鎌倉の中ではここ北鎌倉ぐらいしか残っていないという。だからこれは最早無形文化財だと仰っていた。

というわけで、何とか細々続けていければと思っています。

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by JunMorosawA | 2013-02-14 18:42 | 地元(鎌倉)の話 | Comments(4)
Commented by 一坪庵 at 2013-02-14 19:53 x
Junさん今晩は!
凄いね凄いね・・・・今度カメラ担当で私も出席させてください。
北鎌倉の歴史を見る思いがします。
絶対続けて行って下さいね。
Junさんがんばればあと50年は大丈夫です!

Commented by 山バカ夫婦 at 2013-02-14 21:12 x
初めて拝見させて頂きました。鎌倉にはまだ色々、何々祭という
我々聞いたことのない祭があるんですね。ましてイワシに赤飯・油あげ・・節分のイワシの頭は聞き覚えがありますが。
神社のお祭りぐらいしか神主さんは頭に浮かびません。
若い人は参加してないんですか?続けていけると良いですね。
Commented by JunMorosawA at 2013-02-15 17:14
一坪庵さん、こんにちは。

今日は冷たい雨の1日で、まあヒマでした。
どうも北鎌倉、まずいです(苦笑)。

> 凄いね凄いね・・・・今度カメラ担当で私も出席させてください。
> 北鎌倉の歴史を見る思いがします。

確かに全国的にも、かなり珍しいらしいですよ。
明治時代ぐらいまでは盛んだったんでしょうかねえ・・・。

> Junさんがんばればあと50年は大丈夫です!

う~ん、流石に50年後はもういないな(笑)。
Commented by JunMorosawA at 2013-02-15 17:14
山バカ夫婦さん、こんにちは。

> 初めて拝見させて頂きました。鎌倉にはまだ色々、何々祭という
> 我々聞いたことのない祭があるんですね。

そうですね。その鎌倉の中でももう北鎌倉ぐらいしか残っていないみたいですよ、稲荷講。

> 若い人は参加してないんですか?続けていけると良いですね。

残念ながら一番「若い人」が私です(笑)。
おじいさん、おばあさんが亡くなってしまうと、その家はもうやらなくなってしまうんですよねえ・・・。


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