2012年 04月 14日
県下比類のない名木・長興山紹太寺のシダレザクラに会いにいく その2
前回の私の休みは、4月9日の月曜。
今年は桜の開花が記録的に遅れたため、まさにその日あたりが桜の花のピークだった。

そこで県下比類のない名木・長興山紹太寺のシダレザクラに会いにいくことにした。
さて、どんな名木なんだろう・・・。




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箱根登山鉄道入生田(いりうだ)駅から歩くことわずか 3分、何らやお寺の入口らしき場所に到着!

制服を着た警備員が 2人ほどいて、交通整理をしていた。つまりそれほどの車が入ってくるってことを示している。

へえ!そういう場所なんだ!
何だかこちらの方もときめいてきたよ。

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どうやらこのあたりに長興山紹太寺の総門(大門)があったらしい。右側の軽トラックの先に案内板があった。

つまり紹太寺っていうのはそれほどの大寺だったのだ。

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総門(大門)跡から 1分もしないうちに長興山紹太寺が左手に現れる。

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しかし、あれ?ご覧の茅葺の屋根を乗せた本堂こそやや歴史を感じさせるものの、あとは普通の家って感じだ。大寺の風情はない。

それもそのはず。実は本物の長興山紹太寺は幕末の火災によって建物が焼失してしまっていて、現在は子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいるだけなのだ。

ここであらためて、長興山紹太寺のことを紹介しておこう。

長興山紹太寺は江戸時代の初期(寛永、寛文、万治の頃)小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚が開山した。

寛永9年(1632年)、将軍家光は、自らの政権をより強固なものとするため、側近であった幕府老中職の稲葉丹後守正勝を関東支配の鍵となる小田原城主とした。稲葉正勝の母は、将軍家光の乳母をつとめたあの春日局(かすがのつぼね)だ。

しかし、正勝は、入封 2年後の寛永11年正月に 38歳で急死してしまう。
家督を相続したのは若干 12歳の正則だった。

本来であれば、取りつぶしになりかねないところだが、正則が春日局の孫であったことから相続が許された。

正則は、寛文9年(1669年)、当時城下の山角町(南町)にあった菩提寺を入生田に移転拡大し、長興山紹太寺と名付け、父母と春日局の霊を弔った。

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往時は七堂伽藍の整った大寺院で、広大な庭園をもち、その美しさは旅人の足をとどめずにはいられないほどだったという。

しかし、幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいる・・・。

以上、小田原市のHPより抜粋。

なるほど。そういう歴史があったのか・・・。

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紹太寺を後にして先に進む。

ほんの 1~2分で正面に石段が現れる。その右側には舗装道路が続いていて、どちらからでもシダレザクラに辿り着くことができるようだが、ここは正規のルートである石段の方を選んだ。

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ところがこの石段、全部で 360段ほどもあるという。一旦石畳の道になったかと思うとまた石段が現れるのだからつらい。

この真ん中の女性など、足が悪いらしく相当苦労していた。

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暗い石段のあと、突然開け、左右にみかん畑が広がり出した。

じつはこのあたりも全てかつては紹太寺の境内だったのだ。何しろ七堂伽藍が配置され、黄檗宗(おうばくしゅう:日本三禅宗の一)の中では関東一の寺院だったというのだから。

だから先ほど書いた「紹太寺を後にして先に進む」という言い方は本来間違いなのだ。

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明るいみかん畑の先に稲葉一族の墓所があった。先ほど書いたとおり、ここ紹太寺は小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺(ぼだいじ:一家が代々帰依して葬式・追善供養などを営む寺)ですからね。

正面に大きな墓(ほとんどが五輪塔)が 8つ並んでいる。右から 5番目があの春日局(かすがのつぼね)の墓らしいが、残念ながらここにあるのは供養塔で本墓ではないらしい。

一方先ほど名前の出た正則や彼の本妻の墓だけは本物らしい。
本墓と供養塔の差って微妙ですね。要するに本当にそこに骨が埋まっているかどうかの違いですからね。掘ってみなけりゃ分からない。

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みかん畑が終わると暗い森に変わる。右下から聞こえてくる沢の音が心地よい。

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森の途中には「鉄牛和尚の寿塔」がある。

開山の鉄牛和尚が六十歳を迎えた貞享四年(1687年)に、紹太寺二世の超宗和尚が先師の長寿を願って建てたものだという。

いずれにしてもこのあたりは、先ほどまでのみかん畑からは考えられないほど暗く重たい場所だ。紹太寺は禅寺なわけだから、昔はこんな雰囲気がメインだったのだろう。

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9時46分のこと。突然暗い森が終わりを告げ、正面が明るくなる。

よく見れば正面の道路は舗装されていて、その上にシダレザクラが見える。

え?あれが長興山紹太寺のシダレザクラか!?

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by JunMorosawA | 2012-04-14 07:40 | 山歩き&花 | Comments(2)
Commented by 山バカ夫婦 at 2012-04-14 13:23 x
本堂・茅葺の屋根は秩父の子ノ権現みたいですね。
結構、見物客がいますね。ここのシダレサクラは見たことがありませんので・・・
Commented by JunMorosawA at 2012-04-14 19:24
山バカ夫婦さん、こんにちは。

> 本堂・茅葺の屋根は秩父の子ノ権現みたいですね。

おお!子ノ権現、行ったことありますよ。

> 結構、見物客がいますね。ここのシダレサクラは見たことがありませんので・・・

ちょっと俗化されてしまっているのがやや残念ですが、一見の価値はあると思います。

来年、例えば箱根の山にでも登ったあとに寄るというのはいかがでしょうか?


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