今回は亀ヶ谷坂から源氏山へ登ったときのお話の後編です。
ごゆっくりどうぞ。
海蔵寺との分岐から1分後、上を見上げると紫の花が垂れ下がっている。マメ科ツル性落葉樹のフジだ。
フジは、何と、万葉集・古事記にも登場するほど古くからある日本特産の花で、清少納言や正岡子規も歌を詠んでいる。
今年はヤマフジの当たり年だったようで、あちこちで見事に咲き乱れていた。ただ上の方を見上げないと分からないため、案外見落としている人も多いかもしれない(ちなみにもうピークは過ぎた)。
そのヤマフジの咲き乱れる真下あたりの日影には、ご覧のアジアンタムがびっしりと生えていた。
じつはこの前でホームセンターで398円出して買ってきた私だけれど、鎌倉にはこうしてあちこちに自生しているんだよなあ・・・。
このあたりにはウツギも随分咲いていた。
今盛りなのはマルバウツギの方。
普通のウツギの花がやや半開きで下向きに咲くのに対し、このマルバウツギは上向きに花を全開させるのが特徴になっている。
海蔵寺との分岐から7~8分で化粧坂(けわいざか)の入り口に到着する。
化粧坂は、前回お伝えした亀ヶ谷坂の切通しと共に鎌倉七口(ななくち)のうちの一つだ。
鎌倉時代の昔、三方を山に囲まれた鎌倉に入るには、山を人工的に切り開いて造られた切通しを必ず通らなければならなかった。亀ヶ谷坂と共に化粧坂もそんな切通しのうちの一つってわけです。
化粧坂の名の由来はよく分かっていない。
平家の大将の首をこの坂で化粧して首実検したからとか、近くに娼家があって化粧した女性たちがいたからとか、辺りの樹木が勢いよく生い茂っていたために「木生(きは)え」と言われていたからとか、いろいろな説がある(鎌倉観光文化検定公式テキストより)。
元弘3年(1333年)、鎌倉に攻め入った新田義貞は最初この化粧坂から鎌倉突入を試みた。「太平記」によると、57万騎の新田義貞軍に対し、鎌倉側はわずか3万騎で立ち向かい、4日間見事に守り抜いたという。
ところで化粧坂の中ほどには、こんなにでかい岩が道の真ん中に鎮座している。
これは「置石(おきいし)」と呼ばれるもので、外部から騎馬軍団が一気に鎌倉になだれ込んでくるのを防ぐための工夫だ。新田義貞のときにもこれが役立ったのだろうか。
それにしてもこの化粧坂は昼間でも暗い。それにいつも水がしみ出していて濡れている。通行には十分注意してください。
といっても実際には化粧坂の入り口からほんの数分でこの頼朝像の立つ源氏山に着けてしまうのだから、特に険しいコースというわけでもない。
参考までに、私の足だと、長寿寺のある亀ヶ谷坂(かめがやざか)の切通しの入り口からでもここまでわずか22分です。足に自信のない人でも問題ないでしょう。
ところで頼朝像の手前にあるのはガクアジサイの株・・・。
流石にまだまだ開花してなかったが、もうここまで来ると、6月のアジサイの季節も、目と鼻の先ですね。
ああ、腹減った。家戻って朝食を食べるか・・・。